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ぱりしのさいてん せーぬがわにうちあげられたはなびといりゅみねーしょんのそうしょく パリ市の祭典−セーヌ川に打ち上げられた花火とイリュミネーションの装飾
ヴェルサイユ宮殿で行われたフランス王女マリー・ルイーズ・エリザベトと花婿のスペイン王子フィリップの結婚式の後、フランス王ルイ15世と王妃マリー・レグザンスカと共に出席し、数日間にわたって宮殿のテラスで夜の祭典が行われた。1739年8月29日の第一夜は、イリュミネーションと花火の日に当てられた。ポン・ヌフからポン・ロワイヤルにかけてのセーヌ川の流れに沿って、ルーブル宮殿側の川岸(ここが正面と見られる)や川の左側に面して建てられているパリ最高級の家々がある場所で繰り広げられた。花火はポン・ヌフに据え付けられた機械で打ち上げられた。セーヌ川上中央には、音楽サロンが設けられ、ルーヴル宮殿玄関の前に国王の演壇を設けた。口から火を吐きながらゆらゆらする怪物のように小舟が揺れ動き、一方では川の水をポンプでくみ上げると同時に、ほとばしり出る噴水が明るく照らし出されるという仕組みでセーヌ川の水面を賑わし、飾り立てた硝子のランタンの照明で組み合わせた小舟が川岸を照らし出し、組木に吊された本物のシャンデリアが延々と川岸の道に沿って続いている。川岸に設けられた観覧席には多くの群衆が陣どり、川岸の散歩道に沿って列をなしていた。さらに左岸のホテルのパルコニーやルーヴル宮殿の窓は、はからずも特別席のようになった。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
キルヒナーとは?【 作家名 】 ウィーンでエレガントな有閑マダムや高級娼婦を描く絵描きとして出発、その後、1900年頃にパリへ移住、肖像画家として活動するほか、雑誌(特に「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」)や単行本の挿絵を描いた。一時ロンドンにも滞在し、そこで「ザ・スケッチ」の挿画を描いていた。世界大戦勃発後、彼はニューヨークへ行き、主に女性を描く肖像画家として活動した。キルヒナーが知られているのは、サロン、バー、ナイトカフェなどにたむろして、一種エロティックな仕草をしたがる刺激的な女性たちの絵描きとしてであり(「玩具」、「サルタンの妃」、「青春」、「引っ張られるアモール」)、また、‘キルヒナー・ガール’の呼び名でポピュラーになったモンマルトルのやくざ女の代弁者としてである。1904年、彼はミュンヒェン水晶宮の展覧会に「ウェスタの処女」を出品した。フランス美術協会のパリ展には、1906年、婦人肖像画、1913年、「釈放」、1914年、「御託宣」を出品した。また、パリのユーモリスト展にも多数の水彩画を出品した。彼の水彩画のカラー複製は、特にマックス・ヘルツベルク書店(ウィーン)から出版されている。 |
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