![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ふゆまたはすけーとをするひと にこららんくれのげんがによる 冬、またはスケートをする人[ニコラ・ランクレの原画による]
この2点の版画は、ニコラ・ランクレが1738年、パリ郊外のミュエット城の国王の書斎の為に制作した絵画を複製している。これらの絵画は現在ルーヴル美術館に収蔵されている。18世紀の初頭より、季節を描く事は、もはやアレゴリー(寓意)的な形ではあつかわれなくなり、そのかわりに、日常生活の光景において、一年のある時期を思い出させるといった類の画面によって描かれるようになる。そして、畑での労働よりも、娯楽が関心事となる。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
北野恒富とは?【 作家名 】 金沢市に生まれる。本名富太郎。明治25年(1892)版下業の西田助太郎に彫版を学ぶ。明治30年北国新報社の彫刻部に勧めるが、退社して大阪に出る。翌年月岡芳年の弟子で日本画家の稲田年恒に師事し、浮世絵を学ぶ。その後梶田半古から新しい風俗画を学ぶ。明治34年大阪新報社に入社して挿し絵を描くが、明治44年第5回文展で3等賞を受賞する。大正元年(1912)大正美術会を設立。大正3年日本美術院再興とともに院展に出品、翌年大阪美術会を設立。大正6年日本美術院同人となる。美人画が得意で門下に中村貞以がいる。写生を基礎として恒富の美人画風俗画は、平明な親しさと余韻を持つ。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||