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しょくぜんのいのり じゃんしめおんしゃるだんのげんがによる 食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]
この作品は、シャルダンの最も知られている作品の一つを複製したものである。そのシャルダンの作品はルーヴルに収蔵されており、1740年のサロンに出品された最初の作品は、彼自身の手で、サロンの後、間もなく、ルイ15世に贈呈された。この作品のタイトル「食前の祈り」は、ラテン語に由来し、「祝福あれ」を意味する。即ち、カトリックの信者が、食事の前に唱える祈りの最初の言葉である。画家においては、けっして目新しいテーマではなく、17世紀のオランダの画家がしばしば描いたものである。17世紀の北欧絵画に馴染んでいたシャルダンが受けた影響は、ここに明らかに表れている。祈りの言葉を教え、繰り返させる為に、食卓と彼女の二人の子供たちの方へ優しく体を傾けている母親のまわりに、静物描写の優れた画家であったシャルダンは、数多くの家庭生活の日常的なオブジェを描いている。おもちゃや小皿、フォーク、ポット、柄のついた酒壷などは、母親によって二人の子供たちに支給される食事の時を正確に想起させる。しかし、シャルダンは挿話的なあつかいから脱する術を心得ていた。従って、彼はやさしさにあふれた感動的な作品を創ることができた。彼が版画を通して広めたこの内証は、永遠に保ち続けている聖なるイメージを明らかにしたものである。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
リベラとは?【 作家名 】 1886年、メキシコ、グァナファトに生まれる。1898年から1905年にかけて、サン・カルロス美術学校で学ぶ。1907年、ヨーロッパに留学し、21年までパリを中心に活動する。キュビスムに影響を受け、また、メキシコ革命から得たモチーフを用いたこともあった。1917年には次第に写実的傾向へと移る。この年に起こったロシア革命に際して芸術の社会的役割について考え、またイタリアへの旅行ではルネサンス美術を吸収した。1921年、メキシコに帰国し、政府と協力して「壁画運動」を始める。それは、芸術の持つ社会的機能に立脚して、民族的団結を生み出すことを目的とした。1922年にはメキシコ共産党に入党し、また、技能労働者・画家・彫刻家連合にも参加する。1929年から35年にかけて、メキシコ・シティの大統領宮に壁画〈メキシコの歴史〉を制作した。1930年、大恐慌後の芸術家救済事業が行われていたアメリカに渡り、そこでも活発に壁画を制作し、また、多くのアメリカ人画家と知り合い、影響を与えた。リベラはヨーロパ仕込みの技術や作風によるモダニズムに立脚し、メキシコ的なものを構築しようとした壁画運動のスターであった。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年) |
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