![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ははおやのしっせき えてぃえんぬおぶりーのげんがによる 母親の叱責[エティエンヌ・オブリーの原画による]
本作は、グルーズやレピシエと同時代に活躍したエティエンヌ・オブリーが描き、1775年のサロンに出品された油彩画をもとにした版画。当時の目録には「子供が母親に許しを求めている。楕円形の小さな絵画。ド・ブルトゥイユ氏所有」とある。細かな筆致で部屋の無造作な小道具にいたるまで丹念に描き出した画面の前景床面に、必死に許しを請う子供が壊したものと思われる割れた瓶・器が散らばっている。母親は小枝をたばねた鞭を差し出して、我が子の尻におしおきをしようとしている。主題となっている母子の姿以外に、紡ぎ車を回しながら糸を紡ぐ老婆や桶や箒など部屋の情景を構成する脇役にも画家の技量は発揮されており、大変説得力のある生活風景が描き出されている。ここにおいて、この母親が息子におしおきをするのかどうかという道徳問題を含んだ絵の主題が、リアルな現実感をもって私たちの前に提示される。この時代に流行した感傷性・道徳的雰囲気を持つ佳品である。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
バウハウスとは?【 美術用語 】 1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||