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ははおやのしっせき えてぃえんぬおぶりーのげんがによる 母親の叱責[エティエンヌ・オブリーの原画による]
本作は、グルーズやレピシエと同時代に活躍したエティエンヌ・オブリーが描き、1775年のサロンに出品された油彩画をもとにした版画。当時の目録には「子供が母親に許しを求めている。楕円形の小さな絵画。ド・ブルトゥイユ氏所有」とある。細かな筆致で部屋の無造作な小道具にいたるまで丹念に描き出した画面の前景床面に、必死に許しを請う子供が壊したものと思われる割れた瓶・器が散らばっている。母親は小枝をたばねた鞭を差し出して、我が子の尻におしおきをしようとしている。主題となっている母子の姿以外に、紡ぎ車を回しながら糸を紡ぐ老婆や桶や箒など部屋の情景を構成する脇役にも画家の技量は発揮されており、大変説得力のある生活風景が描き出されている。ここにおいて、この母親が息子におしおきをするのかどうかという道徳問題を含んだ絵の主題が、リアルな現実感をもって私たちの前に提示される。この時代に流行した感傷性・道徳的雰囲気を持つ佳品である。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
マックス・エルンストとは?【 作家名 】 1891年ドイツに生まれる。1976年没する。ボン大学で哲学を学ぶ。1912年「ラインの表現主義者」展に出品。キュビスムや未来派の影響を受けた後、1919年アルプ等とケルンのダダ・グループを結成し、過去の名画の改作やコラージュなどを試みる。アンドレ・ブルトンの招きで1921年パリで個展、翌年パリに移り、シュルレアリスムの代表的画家として活躍。1925年フロッタージュ(あてこすり)の技法を発明し、〈博物誌〉を制作、その後油彩にも応用する。第2次大戦中ナチに追われ、1941年ニューヨークに移る。オシログラフ(振動描画)の技法は、アクション・ペインティングの先駆けとなった。1929年に〈百頭女〉、1934年に〈慈善週間〉、などのコラージュ小説を刊行。タブローの他、版画や本の挿絵も精力的に手掛け、アメリカでは多くの彫刻を制作した。1954年ベネチア・ビエンナーレ展で、絵画部門の大賞を得た。1958年フランスに帰化した。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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