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ぎゅうにゅううりのしょうじょ じゃんばてぃすとぐるーずのげんがによる 牛乳売りの少女[ジャン=バティスト・グルーズの原画による]
本作は、《こわれた甕》と並んで、この分野の作品の中では最も有名な《牛乳売りの少女》を原画とした版画である。描かれた若い女性は、当時の牛乳売りの衣服を身にまとい、手には杓をもっている。この杓は牛乳を量り売りするためのものであるが、こうした描写は、当時の人々にはどうということもないなじみ深い情景であっただろう。しかし、画家は単にこうしたありふれた情景そのものを描き出そうとしたのではないことに注意しなければならない。モデルの女性のきどったポーズや描写の異常なまでの繊細さ、また、やや開き気味のドレスの襟元など、こうした点から、この女性が単なる農民の女性ではないことがわかる。実際のモデルは画家の妻が務めたかもしれないが、グルーズは、農村の女性の風俗に託して、当時最も高貴な女性、女王マリー=アントワネットの面影を重ね合わせて描こうとしたのである。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
ロラーとは?【 作家名 】 ウィーン美術アカデミーでクリスティアン・グリーペンケールに師事。1897年、ウィーン分離派の創設に参加。「ヴェル・サクルム」第7号から編集に参加。第1〜7号の扉絵のほか、多数の挿絵を描く。また、シュレフォークト展のポスターおよび雪山登山鉄道のポスターの文字は、モダンなレタリングの出発点となる。1899年、ウィーン工芸美術学校教授。1899年から1903年、ウィーン分離派展の一連のポスターを制作。第14回展「クリンガー/ベートーベン特別展」には、カタログデザインのほか、「歌う夜」も出品。1905年、クリムト・グループと共にウィーン分離派を脱退。1897年から1907年、ウィーン宮廷オペラ劇場でグスタフ・マーラーの指導の間、舞台監督を務める。舞台作りに斬新なアイデアを駆使、特にリヒャルト・シュトラウス作のオペラの初演には型破りの舞台を作る。また、マックス・ラインハルトのためにも働く。クンストシャウには舞台設計(特にフーゴー・フォン・ホフマンシュタールの「オディプスとスフィンクス」等)で参加。1909年、ウィーン工芸美術学校校長。ウィーン工房ではヨーゼフ・ホフマンに協力。1918年、ウィーン宮廷オペラ劇場の舞台監督。 |
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