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食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


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ぎゅうにゅううりのしょうじょ じゃんばてぃすとぐるーずのげんがによる

牛乳売りの少女[ジャン=バティスト・グルーズの原画による]

作家名:ジュリアン=ジュール・デチュルク
制作年:19世紀彫版
技 法:ビュラン
本作は、《こわれた甕》と並んで、この分野の作品の中では最も有名な《牛乳売りの少女》を原画とした版画である。描かれた若い女性は、当時の牛乳売りの衣服を身にまとい、手には杓をもっている。この杓は牛乳を量り売りするためのものであるが、こうした描写は、当時の人々にはどうということもないなじみ深い情景であっただろう。しかし、画家は単にこうしたありふれた情景そのものを描き出そうとしたのではないことに注意しなければならない。モデルの女性のきどったポーズや描写の異常なまでの繊細さ、また、やや開き気味のドレスの襟元など、こうした点から、この女性が単なる農民の女性ではないことがわかる。実際のモデルは画家の妻が務めたかもしれないが、グルーズは、農村の女性の風俗に託して、当時最も高貴な女性、女王マリー=アントワネットの面影を重ね合わせて描こうとしたのである。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)


カテゴリー:作品
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小堀鞆音とは?【 作家名 】

下野(現栃木県)に生まれる。本名桂三郎。農業を営みながら絵を描いた父や兄の手ほどきを受けた後、明治17年(1884)上京。同年、第二回内国絵画共進会へ出品した作品に対して、川崎千虎が有職故実の問題点を指摘したのをきっかけとして、千虎に入門。土佐派と有職故実を学ぶ。内国勧業博覧会で受賞を重ねた他、日本青年絵画協会、日本絵画協会に参加。東京美術学校助教授となるが、美術学校騒動で辞任。日本美術院創立に参加し正員となる。美術院と日本絵画協会の連合共進会に出品するが、次第に離れていき、日本美術協会に出品することが多くなる。紫紅会、歴史風俗会を設立。明治41年(1908)東京美術学校に復職し、教授となる。文展審査員、帝室技芸員、帝国美術院会員などを勤めた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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