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ぎゅうにゅううりのしょうじょ じゃんばてぃすとぐるーずのげんがによる 牛乳売りの少女[ジャン=バティスト・グルーズの原画による]
本作は、《こわれた甕》と並んで、この分野の作品の中では最も有名な《牛乳売りの少女》を原画とした版画である。描かれた若い女性は、当時の牛乳売りの衣服を身にまとい、手には杓をもっている。この杓は牛乳を量り売りするためのものであるが、こうした描写は、当時の人々にはどうということもないなじみ深い情景であっただろう。しかし、画家は単にこうしたありふれた情景そのものを描き出そうとしたのではないことに注意しなければならない。モデルの女性のきどったポーズや描写の異常なまでの繊細さ、また、やや開き気味のドレスの襟元など、こうした点から、この女性が単なる農民の女性ではないことがわかる。実際のモデルは画家の妻が務めたかもしれないが、グルーズは、農村の女性の風俗に託して、当時最も高貴な女性、女王マリー=アントワネットの面影を重ね合わせて描こうとしたのである。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
狩野養信とは?【 作家名 】 1796年木挽町狩野家八代狩野伊川院栄信の長男として生まれる。1846年没する。名は、養信(はじめ「たけのぶ」、のちに「おさのぶ」)。通称庄三郎。最初は玉川としていたが、のちに清川院、会心斎とも号した。文政2年(1819)法眼。文政11年(1828)家督を継承。天保4年(1833)法印となった。天保10年(1839)、弘化2年(1845)にそれぞれ完成した、江戸城西の丸御殿、本丸御殿の再建に際する障壁画制作の中心となった。また、模写事業をすすめ、室町漢画や中国絵画、初期狩野派など多くの模写を残した。そのなかには、大和絵や沈南蘋など狩野派の伝統とは異なった模写も残されている。養信は、明治の東京画壇で活躍した狩野芳崖、橋本雅邦の師としても知られている。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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