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ぎゅうにゅううりのしょうじょ じゃんばてぃすとぐるーずのげんがによる 牛乳売りの少女[ジャン=バティスト・グルーズの原画による]
本作は、《こわれた甕》と並んで、この分野の作品の中では最も有名な《牛乳売りの少女》を原画とした版画である。描かれた若い女性は、当時の牛乳売りの衣服を身にまとい、手には杓をもっている。この杓は牛乳を量り売りするためのものであるが、こうした描写は、当時の人々にはどうということもないなじみ深い情景であっただろう。しかし、画家は単にこうしたありふれた情景そのものを描き出そうとしたのではないことに注意しなければならない。モデルの女性のきどったポーズや描写の異常なまでの繊細さ、また、やや開き気味のドレスの襟元など、こうした点から、この女性が単なる農民の女性ではないことがわかる。実際のモデルは画家の妻が務めたかもしれないが、グルーズは、農村の女性の風俗に託して、当時最も高貴な女性、女王マリー=アントワネットの面影を重ね合わせて描こうとしたのである。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
鹿子木孟郎とは?【 作家名 】 1874年岡山県に生まれる。1888年岡山高等小学校を卒業、松原三五郎の天彩画塾に学ぶ。1892年上京して小山正太郎の不同舎に学ぶ。1900年渡米、翌年イギリスを経てパリに留学。ジャン・ポール・ローランスに師事する。1903年ベルギー、スイス、イタリアを巡歴。翌年帰国、京都高等工芸学校講師となる。また太平洋画会に参加し多くの作品を発表。1905年浅井忠らと関西美術院を設立。翌年再び渡仏、サロンに入選。文展審査員に選ばれ、第7回文展まで審査員をつとめる。1916年渡仏、1918年帰国し京都に下鴨画塾を開設。1924年帝国審査員となり以後歴任。1932年仏政府より勲章を受ける。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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