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食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


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みんしゅうをみちびくじゆうのめがみ うじぇーぬどらくろわのげんがによる

民衆を導く自由の女神[ウジェーヌ・ドラクロワの原画による]

作家名:ルイ=アドルフ・サルモン
制作年:19世紀彫版
技 法:エッチング
1380年7月27日、28日、29日、パリ民衆の反乱はシャルル10世を追放し、王は亡命した。3日間のこの反乱、つまり「栄光の3日間」はもともと、シャルル10世と当時の閣僚たちによる、1789年以前のような絶対君主制にもどそうとする企てであった。シャルル10世の三決議はこの内乱の原点であった。反動的大臣の任命、議会の解散、七月勅令の発行の三決議で、つまりは、王の決定だけで公共生活を規制する方策の施工であった。ドラクロワは「栄光の3日間」の証人であった。その数日後に、甥に書き送った手紙には「我々は三日間、至る所で戦いが行われていたので、機関銃の発砲、銃撃のさなかにいたのでした・・・」とあり、軍部退役の弟に宛てた手紙には「近代的な題材を企画しました。それはバリケードです。そして、もし私が祖国のために勝利をもたらす事ができなかったならば、少なくとも、私は祖国のために描きましょう。そう考えると私の気分も快適になりました。」とある。ギリシアを称賛して、一枚の絵のためにさまざまな研究をしながら、ドラクロワは着想し、しかも非常にすみやかにこの作品を実現した。この作品は1831年のサロンに出品されたもので、今日ルーブル美術館に保存されている。「バリケード」はパリのノートルダム寺院の塔の右側がそびえてみえる場所に築かれた。死傷者が前景を形成し、そこから自由の女神の姿が現れる。比喩をもって理想化された絵を描くことによって、彼のリアリズムは完全にうち破られた。露わに出された胸もまた、勝利の表現の描写を想起させるのにふさわしい。自由の女神の近くには拳銃を持った一人の若者が立っている。黒いベレー帽をかぶり、髪型から見て学生らしく、ちょうどヴィクトル・ユゴーの作品中の人物ガブロッシュのようである。彼は一大事件に身を投じた永遠の若者のシンボルである。反対側には二人の男性、一人はシルクハットをかぶり、もう一人はベレー帽をかぶっているが、二人ともパリ民衆の社会階級層を思いおこさせる象徴である。彼らパリ民衆が、王政復古制度をくつがえしたのであった。自由の女神が振り回す三色旗は、その頃からフランスの国旗となった。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)


カテゴリー:作品
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森田恒友とは?【 作家名 】

1881年埼玉県に生まれる。上京して小山正太郎の不同舎に入門。東京美術学校西洋画科にすすみ、卒業後進学していた研究科を1907年(明治40)やめ、石井柏亭山本鼎らと同人雑誌「方才」を創刊する。また詩人北原白秋らとパンの会を起こす。同年開設された文展に入選。その後一時、秋田や大阪で教員や新聞社に就職するが再上京し、1914年(大正3)渡欧する。帰国後は、セザンヌドーミエ、またキュビスムに影響された作品を発表する。翌年、二科会の会員になる一方、院展洋画部に出品し、翌年同人に推挙される。また同年、小川芋銭川端龍子、小川千甕らとともに日本画家の団体珊瑚会を結成。しだいに水墨画家の活動もはじめる。1917年、院展に専念するため二科会を退会。1920年には院展同人とともに日本美術院を脱退、1922年春陽会を結成し、以後ここを中心に活動する。1932年(昭和7)食道癌のため入院し、翌年逝去。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)

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