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食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


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めでゅーずごうのいかだ ておどーるじぇりこーのげんがによる

メデューズ号の筏[テオドール・ジェリコーの原画による]

作家名:アルフォンス・ルロワ
制作年:1883年彫版
技 法:ビュラン、点刻
1816年7月、メデューズ号は、セネガルをとり返すために送られたフランスの小型船団のフリゲート鑑である。メデューズ号は砂洲の上で座礁した。そこはアフリカ西海岸の沖で、ブラン岬の少し南方のところであった。400人が船べりにいた。船は海上の波間に戻る事ができず、船の材料を利用して一つの筏が組まれた。昔のフランスの領土を奪取するためにセネガルのサン=ルイ島に送られた乗組員の大部分の149人が、この一つの筏に重なり合った。筏はメデューズ号が所有している救助ボートによって曳航されるはずであったが、係留用ロープが切れ、筏は見捨てられた状態でとり残されてしまった。その時、飢え、渇き、失望がこれらの人々をお互いに武装させた。12日後に筏は発見されたが、そこには15人しか乗っておらず、しかも生存者は既に6人であった。ジェリコーは、筏に乗った人々が、水平線上に彼らを救助に向かった船を発見した瞬間を描き出している。前面の多くの屍の中には、打ちひしがれた父親を支えている息子の死骸も見える。これらは全体の構成から基底部分の線としての役割を果たしている。その線が対角線となって上に昇ってゆくところを生存者が形作っている、エンジニアのユレアルや外科医のサビニー、このエピソードの悲劇的物語の作家(彼らは、殺戮、自殺、酩酊、共食にまで至る狂気の恐ろしい光景をもたらしているが、この人たちはマストのそばに立っている。)などである。そしてアフリカ人が前方に立って、水平線に現れた帆船に合図しようと試みている。真実に対する不安にかられたジェリコーは、筏の模型を難破船の生存者である一大工につくらせた。彼は病院に行って、瀕死の者や死骸について研究した。さらに嵐の海を見るために、英仏海峡(ラ・マンシュ)の海岸にも出かけていった。「メデューズ号の筏」はその創造性から見ても純粋なロマン主義の作品である。現代史の中の出来事から得た激しい恐怖の主題である。作品を活気づけるダイナミズムと彼の解釈の仕方の新鮮さによって、目覚めさせようとする感覚においても、まさにロマン主義の代表作といえる。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年/一部割愛)


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川端玉章とは?【 作家名 】

京都に蒔絵師の子として生まれる。幼名龍之助。晩年は璋翁と号した。はじめ、父から蒔絵の手ほどきを受けるが、中島来章に師事し円山派を学んだ。慶応2年(1866)江戸に出て、覗眼鏡の興行などを経た後、高橋由一五姓田義松とともにワーグマンから洋画を学ぶ。そして、油絵具で屏風を描いたこともあったという。明治10年(1877)第一回内国勧業博覧会以降、受賞を重ね、第一回、第二回内国絵画共進会では、受賞作がフェノロサから評価を受ける。明治21年(1888)から、円山派を代表する画家として、東京美術学校で後進の指導にあたった。シカゴ万国博覧会に出品。日本青年絵画協会の結成に尽力した他、川端画学校校長、帝室技芸員、文展での審査員などを歴任した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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