ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


<前 (74/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


こりーぬ ふらんそわじぇらーるのげんがによる

コリーヌ[フランソワ・ジェラールの原画による]

作家名:アレクシス=フランソワ・ジラール
制作年:19世紀彫版
技 法:ビュラン
コリーヌというのはジェルメーヌ・ド・スタール(1776−1817年)の小説の中の女主人公である。スタール夫人はフランスの作家であり、ルイ16世時代の大臣ネッケルの娘で、スウェーデン人のスタール男爵と結婚した。スイスに亡命し、ナポレオンからコッペの城に逃れた。彼女は文学に打ち込み、その作品はロマン主義の誕生に大きな影響を与えた。1807年に出版された小説『コリーヌあるいはイタリア』の中で、スタール夫人はイタリアの女流詩人の生活を語っていた。作中のこのイタリア女流詩人に、スタール夫人は古代ギリシアの最も有名な女流詩人の名前をつけた。ピンダールのライバルであるコリーヌは、イタリアの美しさと不要な愛とを歌っていた。アレクシス=フランソワ・ジラールは1822年のサロンに発表されたこの版画から、男爵ジェラールがプロシアのオーギュスト皇子から依頼された絵と同じように、コリーヌの姿を再生した。オーギュスト皇子は当時、ナポレオンの軍隊から逃れるためにコッペのスタール夫人の所に亡命していたのであった。女友達スタール夫人の死後、プロシアのフレデリックはジェラールに一種の寓意的肖像画を注文した。それはコリーヌの絵姿の中に、スタール夫人の面影をみとめるものであった。絵の中のコリーヌは、ミゼーヌ山の頂上に座っており、まわりは、ナポリ湾に臨んで、背後には、ベスビオス火山が独特なかたちであたりを圧している光景が描かれている。版画家ジラールは、1822年のサロンで展示されたこの原版の中から、女主人公だけしかとり出さなかったが、絵の中の彼女の残念そうな顔に注目して、コリーヌの苦悩と、彼女の愛の心を表現する詩句を愛する男性イギリス貴族のオズワルド・ネビユやそのほか幾人かの友人の前で歌うことをやめた時を表していた。実際には、版画家はここでは、その男たちの姿を描かなかった。プロシアのフレデリック卿は、1819年のサロンに展示されていたこの絵《ミゼーヌ山頂のコリーヌ》をレカミエ夫人に贈った。1805年にジェラールは、このレカミエ夫人の肖像画も描いている。レカミエ夫人はこのコリーヌの絵を、故郷のリヨン市に贈った。現在はリヨンの美術館に保存されている。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)


カテゴリー:作品
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

文展とは?【 美術用語 】

文部省美術展覧会の略。1907年6月、勅令によって美術審査委員会官制がしかれ、続いて美術展覧会規程が告示公布され、最初の官制による展覧会として同年以降毎年秋季に開催された。当初から審査員の選出で紛糾し、美術界を統合した形をとるために当時日本画壇に分立した諸団体と洋画、彫刻の新旧両派から選出した委員に学識経験者を配して均衡をとった。1919年文部大臣の管理下に帝国美術院が設けられ帝国美術院展覧会に改組されたが、在野有力作家の吸収を目的として、35年文相松田源治により帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展覧会として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。1937年からの文部省美術展覧会を新文展と呼ぶことがある。

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

文展

キーワードを含む記事
205件見つかりました。

  赤城泰舒

  秋野不矩

  朝倉文夫



  荒井寛方

  荒木寛畝

  荒木十畝

  有山白崖

  池田蕉園

  池田輝方

  池田遙邨

  石井鶴三

  石井林響

  板倉星光

  伊藤小坡

  伊東深水

  井上三綱

  井上常太郎

  猪田青以

  今尾景年


<前   次>

徳島県立近代美術館2006