ぐるぐるアートワード
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ぐるぐるもくじ


板を支える両手、3パターンの下向きの手、2つのその他の手の習作



「宣誓」の為の2つの手の習作、前腕を持ち上げている人物の右側部分、4つの足の習作



センターピース



センターピース、あるいは燭台



扇面画



扇面画



扇面画(男)



扇面画(日本の面)



扇面美人図



ゼゼ



「ゼツェッシオン」



ゼフィラン



ゼリー・クールベの肖像



ゼロックス・ブック



総合主議



早春(奥日光・龍頭の滝付近)



双心詩集



〈早朝(エドワード・ボンド)2〉



早梅



SOUL


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 作家(1701)

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せなかをみせたおんな

背中を見せた女

作家名:ウジェーヌ・ドラクロワ
制作年:1833年彫版、1865年出版
技 法:エッチング
41〜45をふくむ6枚の銅版画は、ドラクロワの生前には未発表であった。美術史家で画家、彫版家でもあったフレデリック・ヴィヨ(1809−75)は、ドラクロワとの共同制作も行ったことがあるほどドラクロワと親しかったが、この親友がこれらの未発表作品の銅版を保存していた。そしてドラクロワの死後、1865年になって、これらの6枚が1セットとして発売された。このセットの表紙にもドラクロワ銅版画が刷り込まれている。ドラクロワエッチングによる彫版の技法を知ったのは、ヴィヨによるところが大きい。初期においては、この二人の共同作業によって版が制作されたこともしばしばである。しかし1832年以降の作品においては、ドラクロワのみの手による彫版が行われるようになった。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)


カテゴリー:作品
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藤田嗣治とは?【 作家名 】

1886年東京都に生まれる。1968年没する。(スイス、チューリヒ)。1910年東京美術学校西洋画科を卒業する。1913年フランスに渡り、ピカソモディリアーニらと交友する。乳白色のなめらかな絵膚に線描する独自の画風を創り出し、1919年サロン・ドトンヌの会員、2年後に審査員に推挙されるなど、一躍エコール・ド・パリの寵児となる。1929年一時帰国したあと、1930年から33年にかけてパリを足場に中南米各地で制作、39年から40年にかけて再度フランスに渡る。その間1934年二科会会員、41年帝国芸術院会員となり、43年朝日文化賞を受賞する。戦後は1949年アメリカを経てフランスに渡り、55年フランスに帰化、57年レジオン・ドヌール勲章を受賞、59年ベルギー王立アカデミー会員となる。1959年カトリックの洗礼をうけてレオナルド・フジタと改名、晩年はフランスのノートル=ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂の設計、壁画制作に没頭する。(「ピカソと日本」図録 1990年)

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