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ようもうをすくおんな 羊毛を梳く女
ミレー自身は刷りが暗すぎるとして満足しなかった作品であるが、今日の我々から見ると、ミレーの油彩室内画のほの暗さが図らずも再現されたようで、面白い効果が表れたといえる。その上人体の彫刻的な存在感が如何にも堂々と強調され単調で苦しい手作業の様子が実感として見る者に伝わってくる。後年ミレーはこの構図を基に油絵を制作したが(1863年サロン出品)、そこでの農婦ははるかに楽しげに作業に熱中しており、エッチングの農婦の諦めきったような疲れた表情と対照的で興味深い。この梳き作業の後に「糸紡ぎ」が来る事は周知の通りである。農家の仕事のすべてを網羅しようとしたミレーの周到ぶりがしのばれよう。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
レジェとは?【 作家名 】 1881年フランスに生まれる。1955年没する。1897年から98年にかけてフランスのカンで建築を学び、1900年から02年まで建築の製図工としてパリで働く。1903年から装飾美術学校とアカデミー・ジュリアンで学び、エコール・デ・ボザールにも出入りする。印象派、セザンヌとその興味の対象を変えながら、1910年からはキュビスムや未来派に刺激される。キュビスムのグループに加わり、1913年にはアメリカで行われたアーモリー・ショウに作品が展示される。第一次世界大戦中1914年から17年、従軍。そのときに見た、日光の下でまぶしく光る銃や剥き出しになった金属が放つ魔法のような輝きに強い印象を受ける。この視覚的な体験を基に、除隊後はそのような機械のイメージを作品に取り入れるようになる。また1920年代には人体にも興味をひかれ、機械と人体をモチーフにして制作。これは抽象につながる近代的な表現であったが、その源はフランスの古典主義におけるバランスのとれた構成にあると言われる。1924年には映画にも取り組み〈バレエ・メカニック〉を発表する。1940年から45年にかけてアメリカに亡命し、戦後パリに戻った。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年) |
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