![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
おちほひろい 落穂拾い
ミレーの版画が絵画に先行している代表的な例である。ルーヴル美術館の油絵(83.5×111.0cm)は1857年のサロンに出品されており、ほぼ1年前にはその完璧な構図がここに仕上がっていた。「落穂拾い」のテーマ自体はミレーが1850年頃から模索しており、一応の成果はアルフレッド・フェイドゥのための四季連作の1点《夏、落穂拾い》に表れたが、ミレーはこの3人の人物の背景を広大なシャイイ平原に移し、後景の収穫する人々との距離のコントラストを強調して、画面にモニュメンタルな象徴性を与えるに至る。背景の細部は油絵とは若干異なり、エッチングの方が地平線の手前寄りに収穫風景を配置しているので、手前の3人との関係は比較的緊密であり、油絵が持つ3人の疎外感は弱められている。また中央の女はエッチングでは腕抜きをまだはめておらず、構図上のアクセントが一つ欠けたようで物足りなさを感じさせ、興味深い点である。版画史の名著者ジャン・ラランのいうようにミレーの版画は空の表現が素っ気なく、情趣に欠けるものが多い事は確かで、ここでもミレーは空に鳥を油絵よりはるかに多めに散らして、何とかしのいだ感は否定できない。なおこの3人の人体構図について、実際の写生よりも、そこにパルテノン神殿の彫刻やプッサンの絵画の影響を見るR.ハーバートの説も注目すべきであろう。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
鹿子木孟郎とは?【 作家名 】 1874年岡山県に生まれる。1888年岡山高等小学校を卒業、松原三五郎の天彩画塾に学ぶ。1892年上京して小山正太郎の不同舎に学ぶ。1900年渡米、翌年イギリスを経てパリに留学。ジャン・ポール・ローランスに師事する。1903年ベルギー、スイス、イタリアを巡歴。翌年帰国、京都高等工芸学校講師となる。また太平洋画会に参加し多くの作品を発表。1905年浅井忠らと関西美術院を設立。翌年再び渡仏、サロンに入選。文展審査員に選ばれ、第7回文展まで審査員をつとめる。1916年渡仏、1918年帰国し京都に下鴨画塾を開設。1924年帝国審査員となり以後歴任。1932年仏政府より勲章を受ける。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||