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うえの やすお 上野泰郎
1926年東京都に生まれる。2005年没する。1948年東京美術学校日本画科卒業、山本丘人の「凡宇会」に参加。卒業制作が創造美術第1回展に初入選。以後、創造美術協会、新制作協会に出品する。1959年新制作協会会員、69年多摩美術大学教授に。1973年キリスト教美術協会会員となり、以後毎年出品する。1974年創画会の創立に参加、78年欧州巡回「現代日本画展」に出品。人間存在の重要さを特異の描法、描線によって表現。近年は描き割りの大画面構成によって、いっそうダイナミックな表現世界を展開させている。(「THE HIROSHIMA 広島市現代美術館所蔵作品による」図録 1991年、一部加筆有)
カテゴリー:作家
タルとは?【 作家名 】 ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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