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うえの やすお 上野泰郎
1926年東京都に生まれる。2005年没する。1948年東京美術学校日本画科卒業、山本丘人の「凡宇会」に参加。卒業制作が創造美術第1回展に初入選。以後、創造美術協会、新制作協会に出品する。1959年新制作協会会員、69年多摩美術大学教授に。1973年キリスト教美術協会会員となり、以後毎年出品する。1974年創画会の創立に参加、78年欧州巡回「現代日本画展」に出品。人間存在の重要さを特異の描法、描線によって表現。近年は描き割りの大画面構成によって、いっそうダイナミックな表現世界を展開させている。(「THE HIROSHIMA 広島市現代美術館所蔵作品による」図録 1991年、一部加筆有)
カテゴリー:作家
小川芋銭とは?【 作家名 】 1868年江戸赤坂溜池の牛久藩邸に、留守居役小川伝右衛門の長男として生まれる。幼名不動太郎、のち茂吉と改める。はじめ油彩画を本多錦吉郎に学ぶ。1888年(明治21)「朝野新聞」の客員となり、同紙に帝国議会開設のスケッチや漫画を発表した。この時から芋銭の号を用いはじめる。1893年廃藩置県で牛久に帰農していた一家のもとに帰り、農業に従事しながら制作を行った。「茨城日報」「いはらき新聞」に投稿、1911年小杉未醒と漫画展を開催した。1915年(大正4)平福百穂、川端龍子、森田恒友らと日本画研究団体、珊湖会を結成、1917年には日本美術院の同人となる。以後院展を中心に、沼畔や田園に題材を取った作品を発表した。明治後期に幸徳秋水などと交流し、平民主義の影響を受ける一方、老荘の思想に通じ、書や俳諧もよくした。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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