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ぐるぐるもくじ


セザンヌ、救済院の礼拝堂



せせらぎ−版画集『自然の諸相』第12図



世相三題



セック



石鹸の道d)行為の断片”標的”



石鹸「モンサヴォン」(ジャン・カルリュと共作)



石膏のトルソと花



雪舟坐像



雪中孤鹿、雨中曳牛



雪中芭蕉図



雪後



背中を見せた女



せのひくいおれんじはまんなかあたり



蝉丸



セリュジェ



『セルフポートレート』



セルフポートレート



千秋万歳図



センストレム



「宣誓」に着手した時の3つの手の習作


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ふらんこのゆめとうそ(2てんぐみのうちI)

フランコの夢と嘘(2点組のうちI)

作家名:パブロ・ピカソ
制作年:1937年
技 法:エッチング シュガーアクアチント 紙
1936年、スペイン共和国政府に対して、フランコ将軍率いる軍部の反乱が起こる。困窮する共和国政府を金銭的に支援するため、翌37年1月から6月にかけてピカソはこの版画を制作した。当初は各9つある区画を裁断して別々に販売する予定もあったが、結局裁断せず、ピカソの激しい怒りの詩を添えて出版される。この不気味で醜悪な主人公はフランコ将軍。牡牛はスペイン共和国政府であり、古典的な女性の胸像や太陽は真理と光を表している。シュルレアリスムの要素を多く含んだ怪物的な変身と激しいデフォルメによる強烈な表現である。太陽に挑む独裁者。惨殺された馬、叫び逃げまどう女や子供。その年、37年4月の古都ゲルニカ爆撃を予告するような断末魔の絵物語である。この版画を制作した1937年の1月、ピカソはこの年の5月末から11月末にかけてパリで開催される万国博覧会におけるスペイン館の壁画を依頼された。その後37年4月28日にゲルニカが爆撃を受け、ピカソは5月から6月にかけて、40枚以上の下絵を基に<ゲルニカ>を制作する。<フランコの夢と嘘>第一図の上方には[1937年1月8日]、第二図には同じく上方に[1月8日]、そして下部には[1937年1月9日から6月7日]の日付がある。この展覧会では、これらに関わる段階刷りもすべて出品しているが、第二図の第一ステートから第四ステートまでは[1937年1月9日]の日付のみであり、第五ステートになって[6月7日]の日付がはいっている。ドラ・マールの制作記録写真によると、<ゲルニカ>がほぼ完成したのが6月4日頃である。日付のみから考えると<フランコの夢と嘘>は1月に集中的に制作され、第二図については6月に入って<ゲルニカ>の完成直後に最終的に完成したと考えられる。この各コマに描かれたモチーフと、<ゲルニカ>のための下絵やモチーフは密接に関わっており、特に第2図の6コマから9コマは、直接的に<ゲルニカ>のモチーフにつながっている。(「変貌するひとのすがた ピカソの版画」(コレクション+αで楽しむシリーズ) 2006年)


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与謝蕪村とは?【 作家名 】

現在の大阪市に生まれる。江戸中期の俳人であり、画家。姓は谷口から与謝に改めた。蕪村は俳号で、画号は初め子漢。晩年に謝寅(しゃいん)とした。二十歳頃、俳諧を志し、江戸に下って早野巴人(はじん)に入門。巴人の没後、いまの茨城県など関東や東北を巡歴し、一七五一年(宝暦元年)、京都に居を結ぶ。丹後(現在の京都府)の宮津での滞在を挟み、以後は京都を拠点に活動した。絵画の面では、明清絵画のさまざまな画法を学び、南画の画法を吸収することで、自己の表現をつくりあげた。池大雅(たいが)とともに日本南画の大成者とされている。

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