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かのう みつお 加納光於
1933年東京府(現東京都)に生まれる。独学で銅版画の制作を始める。1955年銅版画集『植物』を刊行。翌年瀧口修造の理解を得て最初の個展を開催。その後、サンパウロ・ビエンナーレ展、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ展、東京国際版画ビエンナーレ展、日本国際美術展、現代日本美術展など内外の展覧会で活躍している。初期は、動植物、鉱物、天文、気象などを描写的要素を残しながら幻想的に描き出したが、1950年代末頃から、版上で腐蝕液と防蝕剤を操り、不思議なイメージを生み出す独自の作風を展開。既成の銅版画技法から逸脱したその手法はインタリオと呼ばれた。続いて、ガスバーナーの炎で金属板に亀裂や凸凹をつけ、それを版とするメタルプリントを制作し、初めて青の色彩が表れる。その後も種々の技法により版画の連作を発表する一方で、本の装丁や造本にも精力的に取り組んだ。1980年代に入ると、色彩への熱中的な関心から、自ら絵具まで調合して独自の手法で描かれる油彩画の連作を発表し、版画とともに注目を集めている。
カテゴリー:作家
ダリとは?【 作家名 】 1904年スペインに生まれる。1989年没する。1921年マドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入るが、突飛な行動を繰り返し、26年には退学処分となる。はじめは未来派やキュビスムに興味を持ったが、そのうちに、デ・キリコやとりわけフロイトの『夢判断』に強烈な影響を受ける。そして自ら「偏執狂的批判的方法」を発見し、精密な写実と幻想とを結びつける独自の様式を生み出した。1927年にはパリに行きピカソと知り合った。1929年から30年には友人ブニュエルと〈アンダルシアの犬〉等の映画を作る。1929年パリの個展によってシュルレアリスムの一員に加えられるが、34年、ブルトンとの不仲から除名される。第二次世界大戦中の1940年にアメリカに亡命し、名声を得る。1948年にはスペインに戻り、版画や宝石デザインなどの分野でも活躍、商業的な成功も得た。スキャンダラスなその生涯は、彼の評価を分けてはいるが、ある意味で今後のシュルレアリスムの存続を考える上での鍵を握る人物の1人であるといえよう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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