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おかべ まさお 岡部昌生
1942年北海道根室に生まれる。1965年北海道学芸大学卒業。北海道アンデパンダン展出品。1976年北海道秀作美術展優秀賞受賞。1979年フランス滞在、80年北海道現代美術展優秀賞受賞。1985年ソウル・文芸振興院美術会館の環太平洋美術展、86年ソウル・YOON Galleryの招待13人展に出品。1988年オーストラリアで個展、ワークショップ開催。対象の上に紙をあて、上から鉛筆でその凹凸をこすり出すフロッタージュの方法を用い、その行為により時間・場所を剥ぎ取る。(「THE HIROSHIMA 広島市現代美術館所蔵作品による」図録 1991年)
カテゴリー:作家
キルヒナーとは?【 作家名 】 ウィーンでエレガントな有閑マダムや高級娼婦を描く絵描きとして出発、その後、1900年頃にパリへ移住、肖像画家として活動するほか、雑誌(特に「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」)や単行本の挿絵を描いた。一時ロンドンにも滞在し、そこで「ザ・スケッチ」の挿画を描いていた。世界大戦勃発後、彼はニューヨークへ行き、主に女性を描く肖像画家として活動した。キルヒナーが知られているのは、サロン、バー、ナイトカフェなどにたむろして、一種エロティックな仕草をしたがる刺激的な女性たちの絵描きとしてであり(「玩具」、「サルタンの妃」、「青春」、「引っ張られるアモール」)、また、‘キルヒナー・ガール’の呼び名でポピュラーになったモンマルトルのやくざ女の代弁者としてである。1904年、彼はミュンヒェン水晶宮の展覧会に「ウェスタの処女」を出品した。フランス美術協会のパリ展には、1906年、婦人肖像画、1913年、「釈放」、1914年、「御託宣」を出品した。また、パリのユーモリスト展にも多数の水彩画を出品した。彼の水彩画のカラー複製は、特にマックス・ヘルツベルク書店(ウィーン)から出版されている。 |
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