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きいろのまどのあるまちのこんぽじしょん 黄色の窓のある街のコンポジション
初期のクレーは、綿描を主体にして、人物や擬人化された動植物を、ユーモラスにあるいはグロテスクに描く戯画的な作品を制作していた。 しかし、1912年に「デア・ブラウエ・ライター」に参加、カンディンスキーらとの交流が彼に転機をもたらす。とりわけ、1914年にマッケらと赴いた北アフリカのチュニジアで出会った明るい光と色が、彼を色彩の画家へと変ぼうさせた。本来持っていた、味のある素描力は、生涯にわたって随所に発揮されることとなるが、これ以降、クレーにとって色彩は最も重要な要素となる。 この作品は、チュニジア旅行以降の1919年の作である。ここでは、線はほとんど従属的な役割しか果たしておらず、色面が組み合わされることで画面が構成されている。色面の境界線は明確であり、一つひとつが画面の構成要素として独立している点に、タイトルにもあるようにコンポジション(構成)という制作意図がよく表れている。さらに、透明感のある水彩絵の具ではなく、不透明水彩絵の具のグワッシュを用いて色を塗り込んでいることから、色の輝きよりも色の組み合わせの妙に心をくだいたことが分かる。 ただし、色によるコンポジションとはいいながら、そこには、塔や窓、屋根や煙突といった具体的な対象物を思わせる部分もある。従って、完全に抽像的な形態から出発したのではなく、街の光景を分解して色面に置き換え、奥行きのない平面上に、モザイクのように配置していくことで制作されたことがうかがえる。 その際の配置には、コンポジションという語が作詞法や作曲法という意味を持っているように、ある規則的な体系が内在している。直角を主体にした幾何学的な色面の形態や、暖色と寒色の対比に補色による色の転調の組み合わせた配色が調和を生み出した。 そこに、一時期ベルン音楽協会のバイオリン奏者として活動したクレーの音楽的感性の反映を見ることもできる。
カテゴリー:作品
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藤島武二とは?【 作家名 】 鹿児島県鹿児島市に生まれる。初めは日本画を志し郷里で修業。上京し明治18年(1885)川端玉章に入門する。しかし明治23年洋画に転じ、同郷の曽山幸彦の指導をうけ翌年には明治美術会の会員になる。その後山本芳翠らに学び、明治29年黒田清輝らの白馬会の結城に参加する。同年東京美術学校洋画科の助教授となる。黒田からは外光派描写の影響を受けるが、生来の浪漫的、装飾的な変質は変わらなかった。明治38年文部省の命で43年まで渡欧しアカデミズムを学び、帰国後は東京美術学校教授となる。その後は官展を中心に我が国洋画画壇の指導的な役割を担った。作風は帰国後の模索の時代を経て、東洋的な人物画を描く。大正8年(1919)帝展審査員、同13年には帝国美術院会員となる。昭和に入って3年(1928)には皇室から委嘱のあった作品の題材を求めて、日本各地は言うに及ばす、台湾、蒙古、満州と取材旅行して数々の風景を描いた。昭和9年には帝室技芸員、同12年には第1回の文化勲章を受章した。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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