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でぃう゛ぁん じゃぽね ディヴァン・ジャポネ
「ディヴァン・ジャポネ(日本の長椅子)」とは、1883年にモンマルトルに開かれたキャバレーの名で、本図はそのキャバレーの宣伝用のポスターの原画であるが、実際にポスター化はされなかった。ディヴァン・ジャポネは200人の観客を収容できるキャバレーであったが、天井は低く、舞台の歌手たちが手を上げられないほどだったようだ。本図にもあるように竹の欄干や赤いカーテンなど、東洋趣味のデザインが施され、ウェイトレスは着物を着ていた。同じカフェを描いたものにロートレックの有名なポスターがあるが、ロートレックの大胆に省略された抽象的な画面に比べ、ソムのポスターは、舞台と観客席の様子を比較的実現的に描いたものであることがわかる。ただ、全景に着物を着た女性を大きく描き、背景と対置させた点は、浮世絵に見られる誇張された遠近法を模倣していると言えるかもしれない。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
キスリングとは?【 作家名 】 ポーランド、クラクフに生まれる。同地の美術アカデミーで学んだ後、1910年パリに出てモンマルトルに住み、エコール・ド・パリの代表的作家となる。モディリアニ、シャガール、スーチン、ピカソ、ブラックや、詩人マックス・ジャコブらと親しく交わる。第一次世界大戦では、外人部隊に志願するが、重傷を負い、兵役を解かれてスペインで療養する。1916年フランス国籍を得る。キュビスムからも影響を受けるが、ドランからの影響が最も大きい。第二次世界大戦の際アメリカに亡命するが1946年フランスに戻る。肖像や裸婦、静物(特に花)などを多く描いたが、特に異国的情緒の漂う裸婦が有名である。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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