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あき 秋
19世紀後半に日本を訪れた西洋人画家は何人かいるが、その中でもレガメーは1873年という早い時期に訪日しており、フランスに帰って日本に関する知識を広めた。美術品収集家のエミール・ギメの日本旅行に同行したのがきっかけであったが、彼が旅行中に描いたスケッチは帰国後『日本散策』として出版された。それらはジャポネズリーの特徴らしく、様式的な日本美術の影響を受けていないが、日本人や風俗をテーマに描いたものだった。本図はおそらく春夏秋冬の4図からなるカレンダーの下絵で、そのうち《春》もジマーリ美術館に所蔵されている。その《春》では日本女性が桜の木の前で掛け軸を掲げているが、本図《秋》では良く似た女性が提灯を掲げて紅葉の前に立っている。浮世絵の美人画の伝統を西洋人画家が解釈した比較的早い例と言えよう。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
アレシンスキーとは?【 作家名 】 1927年ベルギーに生まれる。ブリュッセル装飾美術学校に学び、1947年に初個展を開く。この頃、マグリットらシュールレアリスト達とも出会う。1948年パリへ旅行した後、49年から3年間、カレル・アペルらと共に結成したグループ、コブラの最年少メンバーとして活躍する。第二次世界大戦後の抽象表現における表現主義的な傾向を代表するこのグループは、短命ではあったが、激しい筆触と鮮やかな色使いで、強烈な衝撃を各方面に与えた。彼自身は記号を重ねたり並べた画面を作った。1951年からパリに移住し、絵画のみならず、壁画、室内装飾、ポスター、映画、銅版画などにも取り組む。日本の書道にも興味を示し、森田子龍と交流する。1955年には来日し、子龍と共に映画〈日本の書〉を製作した。1965年にはアメリカを訪れ、ユダヤ美術館で個展を開いた。1977年にはメロン賞を受賞した。 |
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