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にほんのこどものうた 日本の子供の歌
ハイドはアメリカにいた頃から子供の絵本の挿絵画家を志したが、商業的には成功しなかった。この日本の童謡を集めた楽譜帳も結局出版されずに終わったが、姉のメイベルが訳した楽譜の横にそれぞれの歌詞の内容に合った挿絵をつけた、大変意欲的な作品である。明治時代には、西洋文化の流入で日本の音楽の多くが西洋の楽譜法で書き換えられるようになったが、ハイドの楽譜帳はまさにその日本音楽の転換期を記した貴重な資料でもある。内容的にも、童謡だけでなく、君が代や昭憲皇太后作詞の金剛石の歌までも取り上げている点で、ハイドが目の当たりにした日本の近代国家への急速な歩みが示されている。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
川上冬崖とは?【 作家名 】 1827年長野県に生まれる。江戸に出て大西椿年に学び岸太郎と称する。蕃書調書に入り、絵画取調出役、画学出役となって洋画法を研究し、後進を指導。明治維新後、大学南校(東京大学の前進)、文部省、陸軍兵学寮、陸軍参謀局に勤める。第1回、第2回内国勧業博覧会美術部の審査主任。1870年下谷に私塾聴香読画館を設けて青年たちに西洋画法を教える。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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