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せんめんが 扇面画
版画家ブラックモンは1915年に友人のドラートルの家で、日本の陶器を入れた箱の中に詰められていた北斎漫画を発見したことから、西欧のジャポニスムの火付け役として、名を挙げられることが多い。さらに1866年、ブラックモンは北斎漫画などから模写した鳥や花のモティーフや彼自身の作品のモティーフをもとにルソー食器セットをデザインしたが、その和洋折衷の様式は当時のヨーロッパで人気を博し、多くの陶器製造会社がそれをまねた。自由な筆遣いを生かしたこの扇面画は、様式的にルソー食器セットの二つ目のデザインに近く、同じ時期に製作されたと考えられる。雲に見えかくれする月を中心にして、左手に男女のカップル、右手に芥子の花を配されているが、これらのモティーフには意味の上での繋がりはないようである。その寄せ集めの手法はルソー食器セットのデザインでも顕著に用いられている。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
カミーユ・ピサロとは?【 作家名 】 デンマーク領、西インド諸島セント・トマス島に生まれる。1855年画家を志してパリに行き、コロー、クールベに感銘して風景画を描く。1859年にはモネに会う。サロンに数回出品するが落選し、1863年の落選展に出品する。普仏戦争中の1870年、一時ロンドンへ亡命し、モネとともにイギリスの風景画を研究する。印象派展に1874年の第1回から86年の第8回まで毎回出品を続け、印象派の代表的作家の一人となる。また、セザンヌ、ゴーギャンやスーラ、シニャックを印象派に導いた人格者でもある。穏やかな田園風景や街並みを多く描く。一時スーラの新印象主義にひかれ、点描の技法も用いる。パステル、グワッシュにも佳作が多い。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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