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せんめんが 扇面画
版画家ブラックモンは1915年に友人のドラートルの家で、日本の陶器を入れた箱の中に詰められていた北斎漫画を発見したことから、西欧のジャポニスムの火付け役として、名を挙げられることが多い。さらに1866年、ブラックモンは北斎漫画などから模写した鳥や花のモティーフや彼自身の作品のモティーフをもとにルソー食器セットをデザインしたが、その和洋折衷の様式は当時のヨーロッパで人気を博し、多くの陶器製造会社がそれをまねた。自由な筆遣いを生かしたこの扇面画は、様式的にルソー食器セットの二つ目のデザインに近く、同じ時期に製作されたと考えられる。雲に見えかくれする月を中心にして、左手に男女のカップル、右手に芥子の花を配されているが、これらのモティーフには意味の上での繋がりはないようである。その寄せ集めの手法はルソー食器セットのデザインでも顕著に用いられている。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
ベラとは?【 作家名 】 ザイール南部にあるシャバ州の中心都市であるルブンバシ(旧エリザベトビル)は、銅やコバルトの産地として世界的に知られている。第二次世界大戦中にブラザビル(現コンゴの首都)で、軍務として現地の美術の保護に携わっていたブルターニュ出身のフランス人画家ピエール・ロマン=デフォッセが、チャド出身の従兵ベラを連れて、この地に入ったのは戦争末期のことであった。アフリカ人の芸術を保護、奨励することに深い関心を寄せていた彼は1944年、現地の人々を相手にしたアトリエ〈ル・アンガー〉を開設する。その最初のメンバーのひとりがベラであった。〈ル・アンガー〉では、デフォッセはただキャンバスと絵の具、それに場所だけを提供して、主題も構図も一切教えずに、もちろん西洋美術の画集に手を触れさせることもなく、もっぱら現地の人たちの自発性に委ねたといわれている。指先を使うベラの点描画法などは、実に個性的な手法であった。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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