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ものぐらむずあん モノグラム図案
モノグラムはジャポニスムのごく一要素に過ぎないが、装飾美術などへの影響を語る上で不可欠である。西洋のアルファベットを使ったモノグラムや、具体的なモティーフの入った家紋などと比べて、日本美術に見られる落款や着物などに見られる家紋は、極度に抽象され、グラフィック・デザインとして優れていると見なされた。アンリ・リヴィエール、ジョルジュ・オリオール等、多くのジャポニストたちが自らのイニシャルやトレード・マークのモティーフを抽象化したモノグラムをデザインし、版画作品などに多く使用しているが、シャデルもその一人である。シャデルは版画家としての仕事の他に、20年以上ものジュエリー・デザイナーとしての仕事がある。このアルバムには、様々な昆虫の甲羅の幾何学模様等をモノグラムへ抽象化していく過程が記されており、アーティストが自然のどのような要素をグラフィック・デザインへ取り入れていくのかが垣間見れて興味深い。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
山本鼎とは?【 作家名 】 1882年愛知県に生まれる。1906年東京美術学校西洋画科選科を卒業し、翌年石井柏亭、小林未星らと雑誌『方寸』を創刊する。1912年渡欧、1916年帰国、翌年日本美術院洋画部同人となる。1918年戸張孤雁と日本創作版画協会を創立して創作版画の発展につくし、翌年長野県小県郡神川村に日本農民美術研究所を設立。また自由画運動を推進するなど多方面に功積を残した。1920年日本美術院を脱退、翌年自由学園美術部教授となる。1922年春陽会創立に参加して会員となったが、1935年帝国美術院参与に推されて春陽会を脱会するが、1943年春陽会に復帰。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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