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かいけい せいくれあしりーずより

海景−「聖クレア」シリーズより

作家名:ブルーア・ジュリアス・オルソン・ノードフェルト
制作年:1908年
技 法:水彩
クロス晩年のこの水彩作品には、リズミカルで装飾的な線、原色に近い色彩、平面的な形態等、クロスの後期印象主義期の芸術のエッセンスが凝縮されている。それらの特徴はとりもなおさず、日本美術の間接的な影響を示すものでもある。後期印象派の幕開けを告げたジョルジュ・スーラの点描様式はあまりにも分析的で科学的な側面があったので、それに続いたボール・シニャッククロス、またベルギーの点描様式の画家たちは、もう少し自由に色彩を組み合わせたり、点だけでなく動きを持った線の筆遣いを用いることで点描様式を刷新した。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)


カテゴリー:作品
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バーサ・ラムとは?【 作家名 】

アイオワ州ティプトン生まれのラムは、ノードフェルト同様、ジャポニスムの真っ只中、シカゴのアート・インスティテュート・アートスクールで学んだ。初めて実験的な木版画を制作したのは、日本への新婚旅行で木版の道具を手に入れた後の1905年頃である。1907年に再び日本を訪れたラムは、今度は彫師の伊上凡骨(1875−1933)の下で3カ月間、伝統的な木版画の工程を学び、その後3年間はその手法を生かしてアメリカで制作した。1911年から1912年にかけて再来日した折には、東京で彫師と摺師を見つけ、集中的に自分の作品の制作に励んだ。ラムの木版にかける熱意に打たれた師の伊上凡骨は、「おそらく日本の多色摺木版芸術は外国人たちに乗っ取られてしまうだろう!」と、日本人が木版を低級な複製技法として蔑んでいる事実を嘆いている(「木版画の真価」『早稲田文学』7、1907年5月)。ラムが日本で活動した時期は、ちょうど創作版画運動の初期と重なったが、彼女の独創的な木版作品は日本の同時代の作家に多大な影響を与え、日本における木版の見直しの端緒となった。(M.Y.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)

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