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うちわをせにしたおんなのしょうぞう うちわを背にした女の肖像
男性のようにネクタイを絞め、ジャケットを着た女性は、当時の最も進歩的な女性のファッションを身につけていると言える。19世紀末は、それまで家の中から外へあまり出なかった女性が、男性が行くようなカフェやキャバレーに出向くようになり、一般的な女性の社会進出が話題となた時期である。ソムの《ジャポニスム》という作品同様、ここではブルジョワ階級の女性と、彼女らの間で非常に人気のあった日本の芸術品の一つである団扇が描かれている。おそらくどこかのカフェか個人の家の室内装飾に、団扇が使われていたのだろう。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
脂派とは?【 美術用語 】 一般に明治美術会系の画家の画面が脂っぽい印象を与えることから、世間がこの系統の作家と作品を揶揄して用いた名称。紫派と呼ばれる黒田清輝を中心として形成された外光派との対比で用いられた。ほかに旧派、北派、変則派とも呼ぶ。1893年ラファエル・コランにサロン風の外光描写を学んだ黒田が帰国するまで、日本の画家は外光描写を知らず褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色あるいは黒で表現したため、画面は暗く脂っぽいものとならざるを得なかった。それに対して明るく感覚的な黒田の外光表現は清新な感動をもって若い画家に迎えられ、やがて当時唯一の官展であった文部省美術展(文展)の画風を支配していった。ジャーナリズムは両者の対立を脂派と紫派の抗争とあおったが脂派は画壇の片隅に追いやられていった。 |
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