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えぐち しゅう 江口週
1932年京都府京都市に生まれる。1956年東京芸術大学彫刻科卒業。1965年第1回現代日本彫刻展で「砂上櫓」が大賞受賞。1971年第4回現代日本彫刻展で毎日新聞社賞受賞、72年第3回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で神戸市緑化委員会賞受賞、74年第4回同展で群馬県立近代美術館賞受賞。同年第3回平櫛田中賞受賞。1977年第8回中原悌二郎賞優秀賞受賞。江口は東京芸術大学を卒業後、新世代の彫刻家としてめざましい活躍をしている。1965年の第1回現代日本彫刻展を皮切りに、各種の野外彫刻展や現代彫刻展に出品、受賞歴を重ねている。国際展にも積極的に参加し、旺盛な活動を続けている現代を代表する作家の一人である。木のもつ無駄のないフォルムを活かしたスケールの大きな空間の処理によって、彫刻の持つ生活空間における機能を考えさせる。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
円山応挙とは?【 作家名 】 丹波国穴太村(現京都府亀岡市)に生まれる。通称は、岩次郎、左源太、主水。仲均、夏雲、仙嶺とも号したが、明和3年(1766)応挙と改め、晩年まで落款などに用いた。15歳頃、京都に出て鶴沢派の石田幽汀に師事。生活のため、眼鏡絵の制作を行い、奥行きのある表現を獲得。その後、自然を写生の態度で捉えた〈雪松図〉などの表現、日本や中国の伝統と写生との融和をはかった装飾的表現を生み出す。円満院、三井家、宮中などの庇護を受け、多くの門人とともに障壁画を制作。最晩年の〈保津川図屏風〉が画業を集大成した作品とされている。彼の表現は、円山四条派という画派を形成して広がり、明治に至るまで影響をおよぼした。近代の京都画壇にとどまらず近代「日本画」をつくりだす重要な要素となった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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