1888年にブルターニュ地方のポン=タヴェンでゴーガンと知り合った
セリュジェは彼の平面的かつ
抽象的な絵画の様式に共鳴し、パリに戻ってから友人の
ドニや
ボナールと共に
ナビ派を結成した。彼らは絵画が究極的には色彩と形態からなる平面にすぎないことを提唱し、その概念を実践することで
モダニズムへの足掛かりを作った。この作品は
セリュジェの作品の中でも比較的に再現的要素が強いが、田園風景は影や奥行きをなくして、平面的形態へと還元されている。この作品は同年の『
エスタンプ・オリジナル』誌第2号に含まれた
石版画作品のための習作である。(「世紀末から 西洋の中の日本「
ジャポニスム展」図録)