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あずまや たけみ 東谷武美
1948年北海道に生まれる。1971東京造形大学絵画科を卒業し、73年に東京芸術大学大学院版画科を終了した。駒井哲郎、中林忠良に師事し、版画の腕を磨く。1975年、第6回版画グランプリ賞でグランプリを受賞、同年、第5回フィレンツェ国際版画ビエンナーレにも出品する。1978年には第12回日本国際美術展でブリヂストン美術館賞を受賞する。1977年には第13回現代日本美術展に出品する。また、マイアミやクラコウ、リュブリアナ、ビエラなどの国際的な版画ビエンナーレに出品を続けている。初期には池田満寿夫の影響が強かった。しかし、しだいに、リトグラフによって、文学的な抒情性にめりはりのきいた陰影でリズムを与える、彼らしい作風を確立してきた。硝子と氷をテーマにして、氷が形を失いながら光や影や艶を変えて行く様子を表現した〈日蝕〉のシリーズが有名である。
カテゴリー:作家
戸張孤雁とは?【 作家名 】 1882年東京に生まれる。1901年洋画研究のため渡米し、06年に帰国する。1910年太平洋画会研究所彫塑部に入門し、同年第4回文展に「をなご」を出品する。1916年再興第3回院展に「ムスメ」「若き男の像」他を出品する。1917年には日本美術院同人となる。1927年東京で死去。アメリカで苦学をしながら、洋画、デッサンを学んでいた戸張は、ニューヨークのナショナル・アカデミーで荻原守衛と知り合ったことで、彫刻家への道を進むことになる。ロダンの作品からも多大な影響を受け、生命感にあふれた大胆なデフォルマシォンを特徴とする象徴性の高い作品を制作した。また版画家としても活躍し、1919年には山本鼎、織田一磨らと日本創作版画協会を創立し、「創作版画と版画のつくり方」を刊行した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) |
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