![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
あずまや たけみ 東谷武美
1948年北海道に生まれる。1971東京造形大学絵画科を卒業し、73年に東京芸術大学大学院版画科を終了した。駒井哲郎、中林忠良に師事し、版画の腕を磨く。1975年、第6回版画グランプリ賞でグランプリを受賞、同年、第5回フィレンツェ国際版画ビエンナーレにも出品する。1978年には第12回日本国際美術展でブリヂストン美術館賞を受賞する。1977年には第13回現代日本美術展に出品する。また、マイアミやクラコウ、リュブリアナ、ビエラなどの国際的な版画ビエンナーレに出品を続けている。初期には池田満寿夫の影響が強かった。しかし、しだいに、リトグラフによって、文学的な抒情性にめりはりのきいた陰影でリズムを与える、彼らしい作風を確立してきた。硝子と氷をテーマにして、氷が形を失いながら光や影や艶を変えて行く様子を表現した〈日蝕〉のシリーズが有名である。
カテゴリー:作家
構成主義とは?【 美術用語 】 ロシア革命前から1920年代にかけてソ連で展開された芸術運動。ウラジーミル・タトリンが1913年に始めた鉄板や木片によるレリーフを「構成」と呼んだのを発端とする。現実の素材による非再現的構成という造形理念は、ロドチェンコなど多くの共鳴者を得て、構成主義という運動に発展し、モスクワの前衛美術界を、マレーヴィチの提唱したシュプレマティズム(絶対主義)と二分した。革命後は、革命政府の美術政策の推進勢力となり、絵画、彫刻をブルジョワ芸術として否定するとともに、鉄・ガラスなどの工業生産物の使用と社会的効用性を主張し、建築・デザイン・舞台美術などの分野にも拡がり、1920年には造形芸術の各分野をほとんど支配した。運動としては1919年頃から効用派と純粋造形派とに分裂し、純粋造形派のペヴスナー、ガボらは運動を離れ、効用派もその後産業との一体化を推進したが1930年代に政府より批判され終結したが、国外の抽象芸術運動に与えた影響は大きい。タトリンの「第3インターナショナル記念塔(模型)」はその代表的作品。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||