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 作家(1701)

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らいむぎおばさん

ライ麦おばさん

作家名:フェルディナント・アンドリ
制作年:1903年頃
技 法:水彩、グアッシュ、和紙
薄紙カルトンに和紙を貼付、アウグスト・コーピッシュの詩の挿絵、『ゲルラッハ・ユーゲントビューヒェライ』第13号、本文抜粋(子供のための挿韻詩)を貼付。


カテゴリー:作品
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カール・モルとは?【 作家名 】

1880年から1981年、ウィーン美術アカデミーでクリスティアン・グリーペンケールとエミール・ヤコブ・シンドラーに師事。1894年、キュンストラーハウス幹部。1897年頃、グスタフ・クリムトと友人になる。ウィーン分離派設立の話し合いが「カタコンベ(地下の墓所)」で行われる。同年、彼は設立メンバーとなる。分離派で開催される国外芸術家の殆んどの展覧会のオーガナイザーとなる。1898年から1905年、同展覧会に貢献。1898年から1901年、「ヴェル・サクルム」にも作品を提供。この頃に、彼の色石版画の殆んどの作品が制作され、その多くが「ヴェル・サクルム」に掲載されている。1900年、パリ万国博覧会に参加、「メゾン・モデルネ」を知る。数回の大規模美術展開催。1904年、ミートケ画廊の管理を引き受け、このことがウィーン分離派内の争いを深めることになる。1905年、クリムト・グループと共に分離派を脱退。1904年から1905年、ヨーゼフ・ホフマンとアルフォンス・ストックレーの間を取り持つ。1908年、クンストシャウの特別委員会で、1902年作の木版画シリーズ「ベートーヴェンの家」が展示され、その後1908年にウィーン工房から出版される。1909年、クンストシャウに参加。彼の家は、ウィーン社交界の中心であった。

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  フェルディナント・アンドリ

  マキシミリアン(マックス)・クルツヴァイル

  「ベートーベンの家」

  カール・モル


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徳島県立近代美術館2006