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おぐら そうじろう 小倉惣次郎
1845年、千葉県君津郡(木更津市)に宮大工の子として生まれる。幼い頃より彫り物を好み、1868年には小田原にて宮彫師の修業に入る。宮彫師の修行に励みながらも、工部美術学校で学びたいという気持ちが強く、校外生として特別にラグーザから塑造や大理石彫刻の技法を学ぶ。その後、旧水戸藩徳川家に彫刻家として仕える。日清、日露の両戦争によって銅像がさかんに造られるようになり、その原型の作家の第一人者となって、活躍する。しかし、その後所在不明となった原型がほとんどで、1901年に制作された早稲田大学所蔵「大隈重信像」をはじめとして、「伊藤博文公銅像」「明治天皇胸像」がようやくその原型を知られているにすぎない。門下生として新海竹太郎や北村四海がいる。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ゴッホとは?【 作家名 】 オランダに生まれ、画商、教師、牧師と職を変えながら27歳で画家を志す。貧しい農民などを描く暗かった作品は、パリに渡り印象派や日本の浮世絵に出会うことで、明るい色彩を得た。芸術家との共同生活を願い南仏のアルルに移住するが、友人、恋人などすべてに満たされず、次第に色と筆触が激しさを増して行った。ゴーギャンとの短い共同生活も、自らの耳を切り落とすという事件で幕を閉じた。次第に狂気を帯びたゴッホは、精神の病に犯され、ついにピストル自殺を遂げる。 |
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