ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


山麓で羊といる少女



サン=ロック教会



サーレ



サー・ウィリアム・マクスウェル将軍の肖像



The Signified or If No.1



The Signified or If No.2



The Signified or If No.3



The Signified or If No.4



The Signified or If No.5



The Signified or If No.6



The Signified or If No.7



ザヴジェル



ザガッタ



雑誌「青騎士」



雑誌「自由」(ラ・リベルテ)



雑誌「微笑み」(ル・スリール)



雑誌「ル・ポンポン」



ザツキン



『ザ・ライフ・オブ・マン』



ザルテン


<前 (66/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


おぐら そうじろう

小倉惣次郎

1845年、千葉県君津郡(木更津市)に宮大工の子として生まれる。幼い頃より彫り物を好み、1868年には小田原にて宮彫師の修業に入る。宮彫師の修行に励みながらも、工部美術学校で学びたいという気持ちが強く、校外生として特別にラグーザから塑造や大理石彫刻の技法を学ぶ。その後、旧水戸藩徳川家に彫刻家として仕える。日清、日露の両戦争によって銅像がさかんに造られるようになり、その原型の作家の第一人者となって、活躍する。しかし、その後所在不明となった原型がほとんどで、1901年に制作された早稲田大学所蔵「大隈重信像」をはじめとして、「伊藤博文公銅像」「明治天皇胸像」がようやくその原型を知られているにすぎない。門下生として新海竹太郎北村四海がいる。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

マレーヴィッチとは?【 作家名 】

1878年、キーエフ近郊に生まれる。キーエフ・モスクワで絵を学び、ラリオノフに認められてグループ活動に参加。1913年、最初のシュプレマティズムの絵画を描いた。以後シュプレマティズムのを推進し、1918年、「白の上の白」の連作に達した。1919−22年、ヴィテブスク美術学校の教授となり、絵画をやめ、同校をバウハウス的なシステムに改革、教育活動に専念する。1927年、ベルリン美術展で特別陳列され、翌28年バウハウスから「非対象の世界」を刊行。モスクワのみならず、ヨーロッパの美術界に大きな影響を及ぼした。1835年、レニングラードで死去。

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

マレーヴィッチ

キーワードを含む記事
7件見つかりました。

  芸術のイズム

  声のために

  シュプレマティズム

  抽象芸術

  2つの正方形の物語

  カジミール・マレーヴィッチ

  エル・リシツキー


<前   次>

徳島県立近代美術館2006