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ぐるぐるもくじ


セザンヌ、救済院の礼拝堂



せせらぎ−版画集『自然の諸相』第12図



世相三題



セック



石鹸の道d)行為の断片”標的”



石鹸「モンサヴォン」(ジャン・カルリュと共作)



石膏のトルソと花



雪舟坐像



雪中孤鹿、雨中曳牛



雪中芭蕉図



雪後



背中を見せた女



せのひくいおれんじはまんなかあたり



蝉丸



セリュジェ



『セルフポートレート』



セルフポートレート



千秋万歳図



センストレム



「宣誓」に着手した時の3つの手の習作


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 作家(1701)

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おぐら そうじろう

小倉惣次郎

1845年、千葉県君津郡(木更津市)に宮大工の子として生まれる。幼い頃より彫り物を好み、1868年には小田原にて宮彫師の修業に入る。宮彫師の修行に励みながらも、工部美術学校で学びたいという気持ちが強く、校外生として特別にラグーザから塑造や大理石彫刻の技法を学ぶ。その後、旧水戸藩徳川家に彫刻家として仕える。日清、日露の両戦争によって銅像がさかんに造られるようになり、その原型の作家の第一人者となって、活躍する。しかし、その後所在不明となった原型がほとんどで、1901年に制作された早稲田大学所蔵「大隈重信像」をはじめとして、「伊藤博文公銅像」「明治天皇胸像」がようやくその原型を知られているにすぎない。門下生として新海竹太郎北村四海がいる。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)


カテゴリー:作家
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後藤貞行とは?【 作家名 】

紀伊和歌山藩士の家に生まれ、慶応2年28歳の時、騎兵隊修業のため江戸に出て、フランス軍顧問デシャルムと出会い解剖学を、また陸軍入隊後は西洋画の技法を学んでいる。軍馬調達を主な任務としていたため、公務上の便宜のためもあって馬の写生画、写生彫刻の制作を数多く行い、また、宮内省にも、それらを納めている。明治16年光雲に木彫を学び、光雲が木型主任を務めた《楠公銅像》では馬を、《西郷隆盛銅像》では犬を担当している。馬の彫刻を一生の仕事と考えた後藤は、解剖学による科学的な視点と長年の観察による写実性を基礎に、理想とする馬の姿を彫刻として表現していった。(「高村光雲とその時代展」図録 2002年)

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  楠木正成銅像頭部(木型)

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徳島県立近代美術館2006