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おぐら そうじろう

小倉惣次郎

1845年、千葉県君津郡(木更津市)に宮大工の子として生まれる。幼い頃より彫り物を好み、1868年には小田原にて宮彫師の修業に入る。宮彫師の修行に励みながらも、工部美術学校で学びたいという気持ちが強く、校外生として特別にラグーザから塑造や大理石彫刻の技法を学ぶ。その後、旧水戸藩徳川家に彫刻家として仕える。日清、日露の両戦争によって銅像がさかんに造られるようになり、その原型の作家の第一人者となって、活躍する。しかし、その後所在不明となった原型がほとんどで、1901年に制作された早稲田大学所蔵「大隈重信像」をはじめとして、「伊藤博文公銅像」「明治天皇胸像」がようやくその原型を知られているにすぎない。門下生として新海竹太郎北村四海がいる。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)


カテゴリー:作家
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米原雲海とは?【 作家名 】

1869年島根県安来市に生まれる。初めは建築彫刻を学び、大工となるが、京都や奈良の仏像に感化されて彫刻を志すようになる。1890年上京し、高村光雲に師事する。のちには、師光雲が息子光太郎の指導を雲海に頼んだといわれるほどの抜群の刀技で知られる。1895年第4回内国勧業博覧会で「軍鶏」が妙技3等賞受賞。同年より1897年まで東京美術学校雇となる。1907年平櫛田中らと日本彫刻会を結成。この年第1回文展で「神来」が3等賞を受賞、以後受賞を重ねる。1910年文展審査員となる。1913年から19年まで、長野県善光寺の仁王像の制作に従事。1920年明治神宮造営にあたり、内殿に安置される狛犬を制作。1925年東京で死去。伝統の技だけに甘んじることなく、三角比例コンパスの技術を修得し、「ジェンナー像」という作品に結実させた。あるいは中国の仙人が用いる不老不死の霊薬といわれる仙丹を持つ童女は、理想の姿といわれているが、これを小品ながらも木肌をなめらかに仕上げた「仙丹」は秀作である。一方「旅人」は面を生かした、軽快な感じを与える作品となっている。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)

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