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ながぬま もりよし 長沼守敬
1857年岩手県一関市に生まれる。1874年、上京。その後、イタリア人キヨソーネからイタリア語を学び、イタリア公使館に勤務するようになる。1876年ラグーザのもとを訪れ、彫刻を学ぶ。1881年イタリア公使に同行して渡伊。ヴェネツィア王立美術学校に入学、87年帰国。1889年明治美術会結成に唯一人の彫刻家として参加。1897年ヴェネツィア万博日本側委員として渡欧。1898年東京美術学校教授となる。1900年同校退官。パリ万博で「老夫」が金牌受賞。1907年文部省美術審査委員となる。1914年美術界から隠退し、千葉県館山市に移り住み、42年同地にて死去。長沼は、ヴェネツィア王立美術学校でアカデミックな彫刻技法を学び、帰国後は丹念な写実に基づいた肖像彫刻を制作。作品にはドイツの医学者ベルツ博士やダイバース博士、渋沢栄一の像がある。「老夫」は長沼の近所に住む植木職人をモデルにしたと伝えられている。独特な形の頭巾が作品のイメージを強め、解剖学的に再現された顔の骨格や額の皺などは、明治時代の写実主義彫刻の典型を示している。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
レンツとは?【 作家名 】 ウィーン工芸美術学校でミヒャエル・リーザーおよびフェルディナント・ラウフベルガーに師事。その後、ウィーン美術アカデミーでカール・ヴルツィンガー、クリスティアン・グリーペンケールおよびアウグスト・アイゼンメンガーに師事。奨学金を得て2年間ローマ留学。銅版画家フェルディナント・シルンベックと共に1890年代に発券銀行の委託でブエノスアイレス銀行券をデザイン。1898年から1902年、「ヴェル・サクルム」のための作品:第1号の「春の営み」、通卷第5巻および創立者版のカレンダー「4月」および「7月」通卷第1巻の「春」および「秋」。1903年、モザイク研究のため、クリムトと共にラベンナに旅行。1898年から1939年、ウィーン分離派のメンバー、一連の展覧会に出品(第1回展および第14回展の室内装飾デザイン、第14回展のカタログの木版画、その他、モザイク、銅細工、フレスコ画など多数)。 |
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