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きたむらしかい 北村四海
1871年長野市の宮彫師の家に生まれる。幼少のころより父の仕事をまのあたりにしていたため、彫刻を志すに十分な素地があった。1893年上京、島村俊明に象牙彫刻を、小倉惣次郎に大理石彫刻を学ぶ。後に渡仏するが、病を得て帰国後は、大理石彫刻の日本における先駆者として活躍した。1907年の東京勧業博覧会において、審査に対する不満から、自らの作品を打ち壊したというエピソードは有名である。1908年第2回文展で「春秋」が三等賞を受賞、15年第9回文展で「イヴ」が三等賞を受賞する。1927年死去。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
エルンストとは?【 作家名 】 1891年ドイツに生まれる。1976年没する。ボン大学で哲学を学ぶ。1912年「ラインの表現主義者」展に出品。キュビスムや未来派の影響を受けた後、1919年アルプ等とケルンのダダ・グループを結成し、過去の名画の改作やコラージュなどを試みる。アンドレ・ブルトンの招きで1921年パリで個展、翌年パリに移り、シュルレアリスムの代表的画家として活躍。1925年フロッタージュ(あてこすり)の技法を発明し、〈博物誌〉を制作、その後油彩にも応用する。第2次大戦中ナチに追われ、1941年ニューヨークに移る。オシログラフ(振動描画)の技法は、アクション・ペインティングの先駆けとなった。1929年に〈百頭女〉、1934年に〈慈善週間〉、などのコラージュ小説を刊行。タブローの他、版画や本の挿絵も精力的に手掛け、アメリカでは多くの彫刻を制作した。1954年ベネチア・ビエンナーレ展で、絵画部門の大賞を得た。1958年フランスに帰化した。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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