![]() |
|||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||
|
たけいし こうざぶろう 武石弘三郎
1878年新潟県に生まれる。1901年、東京美術学校塑造科を卒業する。東京美術学校で長沼守敬に師事した武石は、その後渡欧し、ベルギーのブリュッセル国立美術学校に学び、ベルギーの彫刻家コンスタンタン・ムーニエを日本に紹介した。ムーニエは労働者を多く題材としており、同時代の日本の作家たちに影響を与えた。1909年帰国。1911年第5回文展に出品し、以後文展、帝展に出品する。本県で展覧された「婦人像」は、第5回文展の出品作と推測される。主に大理石を素材にした人物像を制作したが、第2次大戦後は、作品の発表がなくなった。1963年鎌倉で死去。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
アルプとは?【 作家名 】 1886年フランスに生まれる。1966年に没する(オランダ、バーゼル)。ワイマール美術学校、パリのアカデミー・ジュリアンに学ぶ。1912年ブラウエ・ライター、翌年シュトゥルムの活動に関わり、16年からはダダの中心的人物として活躍する。1925年にはシュルレアリスムの運動に参加。また1930年にはセルクル・エ・カレ、翌年に「抽象・創造」と、抽象美術の活動にも参加、ダダと抽象美術にまたがる幅広い活動を展開した。絵画の他にも、コラージュ、彩色レリーフ、ちぎり絵のコラージュ(ハピエ・デシレ)、彫刻等を手掛け、更に詩人としても活躍する。1954年ベネチア・ビエンナーレ展で国際彫刻大賞、63年フランス芸術大賞を受賞。1965年ロカルノ名誉市民となる。1958年ニューヨーク近代美術館、62年にポンピドゥ・センターで大回顧展が開催された。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
||