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おうじょにあいたくてなしょなる・がーでんのふぇすてぃばるをおとずれるまだむ 王女に会いたくてナショナル・ガーデンのフェスティバルを訪
群衆の中に紛れ込んでいて見過ごしてしまいそうな「マダム」。実はこれはリア・パッケの変装した姿である。リア・パッケは1979年以来ベルギー国内をはじめアメリカ、フランス等でパフォーマンスを行っているが、1982年の「家庭でのマダム」以降はマダムに扮し、王女を見にナショナル・ガーデンへ行ったりケルンのカーニバルや奇蹟の泉のあるカトリックの聖地ルルドへ行ったりしている。1988、89年は特にマダムを多く演じているが、最近では黒縁の眼鏡をかけ、スーツを着て男装し、小型の荷車をひく「リトルマン」というキャラクターを演じるシリーズを始めている。彼女が作品として発表するのはこのマダムやリトルマンのいる風景を第三者が自由に撮影した写真から彼女が選択しセットしたものである。(「ベルギー現代美術展」図録 1994年)
カテゴリー:作品
チェシュカとは?【 作家名 】 1878年ウィーンに生まれる。1894−99年、ウィーン造形芸術アカデミーに在学。1898年ゲルラッハ&シェンク出版社のためのポストカードや挿絵を制作。インゼル社など多くの出版社で装丁、グラフィック、広告などを制作する。1902−07年、ウィーン工芸学校で教え、1905年から教授になる。生徒の一人にO.ココシュカがいた。1907年ハンブルグの工芸学校に招かれ、やがて教授となり43年まで勤めた。ウィーン工房には1905年から参加。ハンブルクへ移ってデザイン活動を行う一方で、工房との協力関係も続く。1907年M.ラインハルトの演劇「リア王」の舞台装飾。1908年ゲルラッハ&ヴィートリンク出版社から舞台装飾の挿絵本『ニーベルンゲン』を刊行。工房のためにポストカード、挿絵、アクセサリー、刺繍、ステンドグラス、陶磁器、金属製品などをデザインした。また、キャバレー・フレーダーマウスのグラフィック、ホフマンが設計したホーホライトの狩猟小屋の装飾パネル、ストックレー邸のステンドグラス、パウル・ヴィトゲンシュタイン邸などの装飾も手掛ける。「分離派展」(ウィーン、1900、02、04年)、「装飾美術展」(トリノ、1902年)、「クンストシャウ」(1908、09年)、「工作連盟展」(ケルン、1914年)などオーストリア、ドイツ各地の主要な装飾美術展に参加。1960年ウィーンで歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
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