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おうじょにあいたくてなしょなる・がーでんのふぇすてぃばるをおとずれるまだむ 王女に会いたくてナショナル・ガーデンのフェスティバルを訪
群衆の中に紛れ込んでいて見過ごしてしまいそうな「マダム」。実はこれはリア・パッケの変装した姿である。リア・パッケは1979年以来ベルギー国内をはじめアメリカ、フランス等でパフォーマンスを行っているが、1982年の「家庭でのマダム」以降はマダムに扮し、王女を見にナショナル・ガーデンへ行ったりケルンのカーニバルや奇蹟の泉のあるカトリックの聖地ルルドへ行ったりしている。1988、89年は特にマダムを多く演じているが、最近では黒縁の眼鏡をかけ、スーツを着て男装し、小型の荷車をひく「リトルマン」というキャラクターを演じるシリーズを始めている。彼女が作品として発表するのはこのマダムやリトルマンのいる風景を第三者が自由に撮影した写真から彼女が選択しセットしたものである。(「ベルギー現代美術展」図録 1994年)
カテゴリー:作品
ミュシャとは?【 作家名 】 画家、イラストレーター、室内装飾家。チェコのイヴァンチツェ生まれ。1879年、ウィーンの舞台装飾会社で働き、夜間学校に通う。83年芸術庇護者のクーエン=ベラッシ伯爵に会い、城の食堂と書斎の室内装飾の仕事を依頼される。伯爵は以後、ミュシャのパトロンになる。ミュンヘンの美術学校を出た後、87年にパリに出て短期間アカデミー・ジュリアンに通う。それ以来、彼は絵画に主に専念することになる。90年より様々な雑誌、新聞に評論を寄せるようになる。92年より本のイラストを始める。並行してフランス芸術家協会(1894年)や第20回100人展に出品する。1896年、1897年には個展を開催する。1892年より広告の世界に入る。広告の世界で注目されるようになるのは94年からである。その後10年間、ミュシャの広告における業績は絶頂をきわめた。1903年、初めてアメリカへ旅し、パリとプラハ、ボヘミアを定期的に行き来するようになる。少しづつチェコ人としてのアイデンティティーを意識するようになり、1910年からスラブの芸術の人生を捧げる決意をした。(「黄金時代のポスター芸術」図録 1998年) |
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