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おうじょにあいたくてなしょなる・がーでんのふぇすてぃばるをおとずれるまだむ 王女に会いたくてナショナル・ガーデンのフェスティバルを訪
群衆の中に紛れ込んでいて見過ごしてしまいそうな「マダム」。実はこれはリア・パッケの変装した姿である。リア・パッケは1979年以来ベルギー国内をはじめアメリカ、フランス等でパフォーマンスを行っているが、1982年の「家庭でのマダム」以降はマダムに扮し、王女を見にナショナル・ガーデンへ行ったりケルンのカーニバルや奇蹟の泉のあるカトリックの聖地ルルドへ行ったりしている。1988、89年は特にマダムを多く演じているが、最近では黒縁の眼鏡をかけ、スーツを着て男装し、小型の荷車をひく「リトルマン」というキャラクターを演じるシリーズを始めている。彼女が作品として発表するのはこのマダムやリトルマンのいる風景を第三者が自由に撮影した写真から彼女が選択しセットしたものである。(「ベルギー現代美術展」図録 1994年)
カテゴリー:作品
勝田蕉琴とは?【 作家名 】 1879年福島県に生まれる。本名良雄。はじめ会津若松の南画家野出蕉雨に学んだのち、1899年(明治32)上京、橋本雅邦に師事する。1902年に東京美術学校日本画選科に入学、1905年の卒業後、岡倉天心の推薦を受けて、タゴールの賓客としてインドに渡る。カルカッタ西北のシャンティニケトン学園で東洋画を教える一方、仏画の制作と仏教美術の研究をおこなった。1907年に帰国し、同年の第1回文展に初入選する。その後、国画玉成会にも参加する。1913年(大正2)の第7回文展で3等賞受賞、以後、官展を主な活躍の場とした。また1963年(昭和38)以降は、革新美術協会に出品した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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