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きょうこく 峡谷
これは、リヒターの数少ない風景画のひとつである。画面の中で、私たちに背を向けている画中の人は、通常ならば、私たちが画面に没入するためのきっかけを与える存在であるはずなのに、絵画空間の組み立ての効果により、不気味で、閉じられた場所に誘われようとしていて、近寄りがたさを感じさせている。この空間は、風景の中で何かを認識するというよりも、何かが失われてゆくことに立ち会うという経験を私たちにさせるだろう。
カテゴリー:作品
長谷川潔とは?【 作家名 】 1891年神奈川県に生まれる。1980年没する。1911年には黒田清輝から素描を、12年には岡田三郎助、藤島武二から油彩を習う。この頃から木版画を始め、1913年には文芸誌『仮面』の同人となって、表紙、口絵などを作る。1916年には、永瀬義郎、廣島晃甫と共に日本版画倶楽部を結成する。1919年にはフランスへ渡る。1923年、サロン・ドトンヌに出品、24年にはメゾチント(マニエール・ノワール)の技法を復活させる。1926年にはパリで初の個展を開く。1935年には、レジオン・ドヌール勲章を受けるが、45年、敗戦でパリの監獄に1ケ月収容される。1960年に、サロン・ナショナル・デ・ボザール版画賞を受賞、66年にはフランス文化勲章、67年には勲三等を受けた。1980年に亡くなるまで、1度も帰国しなかった。あらゆる版画技法を用い、また油彩も描いたが、メゾチントを復興させた功績は大きい。風景や小鳥、静物を、静かに神秘的に描き出した彼の画面は、高い評価を受けている。 |
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