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さいごのしょうぶはつづく ねがてぃう゛ ぷれい 〈最後の勝負は続く〉〈ネガティヴ・プレイ〉
この作品は、5点のモノクローム写真からなる作品と2点のモノクローム写真からなる作品で構成される。■5点のモノクローム写真からなる作品(1-5) 《最後の勝負は続く》 1996年■2点のモノクローム写真からなる作品(6-7) 《ネガティヴ・プレイ》 1889-90年-----マクダレーナ・イェテロヴァは、1946年チェコスロバキアのゼミリーに生まれる。1956−67年プラハの造形芸術アカデミーで、67−68年ミラノのブレーラ・アカデミーで、68−71年にプラハの造形芸術アカデミーで引き続き学ぶ。1985年ドイツ連邦共和国に亡命。1988年ミュンヘン造形芸術アカデミー客員教授となり、リューベックのオーヴァーベック造形芸術賞を受賞する。1989年ダルムシュタット市芸術賞を、91年シュトゥットガルトのマックス・リュッツェ賞を受賞。1990年デュッセルドルフ州立美術アカデミー教授となる。1993年よりプラハ城評議会顧問、ベルリン芸術アカデミー名誉教授となり、現在、ベルクハイム在住。かつて〈居間劇場〉で上演されたシェークスピアの『マクベス』の写真と、アトリエの近くにある小さなビール醸造所の写真から、このたびの出品作品は制作されている。
カテゴリー:作品
五姓田義松とは?【 作家名 】 1855年東京都に生まれる。チャールズ・ワーグマンに入門。1874年横浜から東京に移り、家塾を開く。1876年工部美術学校に入学し、フォンタネージの指導を受ける。翌年工部美術学校退学。同年の第1回内国勧業博覧会に出品し鳳紋賞を受ける。1880年渡仏。フランスでレオン・ボナに師事する。1882年パリのサロンに入選。翌年にも再び入選する。1887年ロンドンに移り、その後アメリカに渡る。1889年帰国し、明治美術会の結成に参加。1890年父芳柳と共にアメリカへ行く。同年帰国。また、この年の明治美術会第2回展に出品。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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