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きくはた もくま![]() 菊畑茂久馬 ![]()
1935年徳島県に生まれる。1940年長崎県に移り、41年福岡県に移る。1953年福岡県立中央高等学校を卒業する。1956年福岡県庁の外壁を会場に開かれたペルソナ展に出品し、翌年この野外展から発足した九州派のグループに加わり、各種の運動に参加する。1960年九州派を退会し洞窟派を結成する。1961年の読売アンデパンダン展から〈奴隷系図〉のシリーズを発表し、特に同年国立近代美術館で開かれた「現代美術の実験」展の出品作はスキャンダラスな評判とともに幅広い注目を集める。1964年から〈ルーレット〉のシリーズを展開、日常的な事物を用いたアッサンブラージュによる構成的な作品で土俗的、通俗的世界を表出する。1960年代後半から〈原器〉と名付けたオブジェを制作し、72年からはその版画化を試みる。近年は〈天動説〉、〈月光〉のシリーズを発表する。1970年美学校の講師に就任、1988年北九州市立美術館で「菊畑茂久馬」展が開かれる。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
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カテゴリー:作家
![]() ![]() ![]() タルとは?【 作家名 】 ![]() ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) ![]() ![]() ![]() |
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