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悪の泉−『エスタンプ・オリジナル』誌第6号より



『悪の華』のために版刻された14図



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朝の散歩



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 作家(1701)

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あさくら ふみお

朝倉文夫

1883年大分県大野郡・渡辺家に生まれ、9歳のときに朝倉家の養子となる。1902年竹田中学校を中退し、実兄渡辺長男をたよって上京する。1907年東京美術学校彫刻選科を卒業、翌年第2回文展出品作「闇」で二等賞を受賞し、以後文展で7回連続受賞。1921年東京美術学校教授となる。1944年東京美術学校教授を退官し、帝室技芸員となる。1948年文化勲章受章。1951年文化功労者に選ばれる。1964年死去。朝倉は美術学校を卒業するやいなや、文展でいきなり二等賞を受賞し、その後も相次いで二等、三等賞を受賞するなど華々しい作家活動をし、時には嫉妬心の矛先をむけられた。「墓守」は彼の自然主義的な作風をよく示す作品で、東京谷中にある天王寺墓地の墓守で、彼が美術学校へ通うころから毎日のようにみかけていた老人をモデルにしている。「作品は自然の一部であればよい」といった朝倉の一つの節目となった作品である。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)


カテゴリー:作家
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アカデミーとは?【 美術用語 】

芸術家、文筆家、学者などの専門家の組織集団。多くの場合教育的機能をもち、転じて絵画、彫刻などの技法を教える画塾、研究所をも意味する。さらにフランス語では裸体習作、モデルの意味がある。その名は古代ギリシャにおいて、プラトーンがアテーナイの郊外に開いた学園アカデーメイアに由来する。ルネッサンス期に人文主義者や芸術家たちの集りにこの名称が用いられたが、正式な組織としては16世紀になってパッチオ・バンディネルリがローマに設けたアカデーミアが最も古く、次第に従来のギルドに替わる性格を帯び、1563年フィレンツェにヴァザーリにより〈アカデーミア・ディ・ディセーニョ〉が創設され、その後ボローニャ、ローマに多くのアカデミーが設けられた。フランスでは1664年王立絵画彫刻アカデミーが創られ、美術学校と公式の展覧会を支配するようになり、この例にならって各国に18世紀のアカデミーが生まれた。しかし19世紀中葉以降、その伝統を墨守する保守的傾向が「アカデミズム」として否定されるようになり、美術の主要な流れからは遠い存在となっていった。

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