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げいじゅつのにほんし No.25 ひょうし 『芸術の日本』誌(No.25)表紙
サミュエル・ビングは19世紀後半のヨーロッパにおいて有数の日本美術収集家であり、美術商でもあった。アカデミズムで行き詰まったヨーロッパ美術の復興に日本美術が鍵となると信じた彼は、その熱意を日本美術の展覧会や『芸術の日本』誌の刊行に注いだ。第1号の序文からはビングの確信と熱意が伝わってくる。「日本の芸術は、あさはかで熱狂的な気まぐれとは関係なく、今後わが国の芸術と永遠に結び付いていくだろう。それは、一滴の血として我々の血と混じり、どのような力ももはやこれを取り除くことはできないだろう」。全部で36号刊行されたこの月刊誌には、日本美術の専門家の論文や浮世絵などから抜粋した挿絵が多く掲載され、全カラーのジロッタージュ・プリントで刷られた日本美術の複製が10枚も付録として含まれていた。英語とドイツ語でも出版され、西洋における日本美術の知識の普及に大きな役割を果たした。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
カンディンスキーとは?【 作家名 】 1866年ロシアに生まれる。1944年没する。モスクワ大学で法律と国民経済学を研究したが、1896年ミュンヘンに移ってシュトゥックについて絵を学び、ユーゲントシュティール、印象主義、ロシア民芸の影響がつよい作品を制作した。1909年「新芸術家協会」を設立。翌年水彩画による最初の抽象画を制作。この頃『芸術における精神的なもの』を執筆。1912年『ブラウエ・ライター(青騎士)』誌を刊行。1914年ロシアに帰り、革命後モスクワ大学教授となる。1921年ドイツに戻り、1922年から33年までバウハウスで教鞭をとった。1933年パリに亡命。作風は、1910年代は激しい色と形による「ドラマティックな時代」、20年代は「コンポジション時代」から「円の時代」へと移行し、晩年は「具体芸術の時代」へと展開した。ミュンヘンのレンバッハ画廊、パリのポンピドゥ・センター、ニューヨークのグッゲンハイム美術館に主なコレクションがある。抽象絵画の創始者として、20世紀美術にかけがえのない足跡を残した。 |
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