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げいじゅつのにほんし No.25 ひょうし 『芸術の日本』誌(No.25)表紙
サミュエル・ビングは19世紀後半のヨーロッパにおいて有数の日本美術収集家であり、美術商でもあった。アカデミズムで行き詰まったヨーロッパ美術の復興に日本美術が鍵となると信じた彼は、その熱意を日本美術の展覧会や『芸術の日本』誌の刊行に注いだ。第1号の序文からはビングの確信と熱意が伝わってくる。「日本の芸術は、あさはかで熱狂的な気まぐれとは関係なく、今後わが国の芸術と永遠に結び付いていくだろう。それは、一滴の血として我々の血と混じり、どのような力ももはやこれを取り除くことはできないだろう」。全部で36号刊行されたこの月刊誌には、日本美術の専門家の論文や浮世絵などから抜粋した挿絵が多く掲載され、全カラーのジロッタージュ・プリントで刷られた日本美術の複製が10枚も付録として含まれていた。英語とドイツ語でも出版され、西洋における日本美術の知識の普及に大きな役割を果たした。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
円山四条派とは?【 美術用語 】 江戸中期、円山応挙によって始められた写実的な絵画の流派円山派と、その流れをくむ応挙門下の呉春の開いた四条派を併称したもの。円山派は、18世紀の中頃、京都の新興町人層の現実的な感性を基盤に、写実性と伝統的な装飾性を融和させた新しい様式で、上方画壇に大きな影響を与え、明治画壇にまで及んでいる。用筆上の特徴としては従来の没骨技法に墨の濃淡表現を加えた付立(つけたて)法とよばれる筆法が用いられている。応挙の門下には、呉春、長沢蘆雪、森徹山、渡辺南岳、源?g、山口素絢、奥文鳴、月僊などがいる。四条派は、江戸後期に呉春によって始められた一派である。円山派の平明で写実的な作風に俳諧的な洒脱みを加えた新様式で、応挙歿後の京都画壇で流行した。呉春をはじめ門下の多くが京都四条近くに住んでいたため、その一派を四条派と呼ぶ。呉春門下には、松村景文や岡本豊彦、柴田義董がいる。岡本豊彦は、四条派に再び南画様式をとり入れたが、その画系には塩川文麟、幸野楳嶺、竹内栖鳳らが相次ぎ、明治の京都画壇に大きな影響を与えた。 |
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